なぜやりたいことをやって暮らしていけないのだろうか。
(結論でてません、ただのぼやきです)
趣味と仕事は違うという話をよく聞く。
TINAMI ― 絵を仕事にしたい人へ
http://togetter.com/li/31814
プログラムとかにも同じことが言えるよね。
趣味と仕事は違う。
私はプログラム作るのが嫌いぢゃないし、物作るのが楽しいから仕事にしたけど、、、
でも、これってなんでだろうなーと思う。
もちろん、お金もらってやっているわけだから、
特段興味がなく、超絶どーでもいい重箱の隅系の部分でもちゃんと仕上げてださないといけないのは、その通りなんだが、、、
だけど、逆に言えば、なんで、そこまでやらないとお金が儲からない、そして暮らしていけないのかというのが疑問だ。
なぜ、やりたいことをやりたいだけやって、暮らしていけないのだろうか。
やりたいことをやるわけだから、仕事に対するモチベーションは違ってくるはずだ。
少なくとも、やりたくないことをいやいややるのとは、結構な差が出てくるように思える。
もし、仕事に対するモチベーションが、成果に影響を与えるとするならば、この差は多少はあるはずだ。
#プライベートの時間を利用して作っているときのパフォーマンスは、仕事のそれをはるかに上回る気がする。
だけど、それでは暮らしていけない。
お金を稼げない。
たまに耳にする、「いい物を作れば〜」「成果を出していれば〜」というのは、この場合は当てはまらないらしい。
なんでだろう?
お金を稼げないということは、成果に金を払ってくれる人が少ないということだ。
なぜ人々は、やりたいことを好きなだけやって作った成果より、
やりたくないことをいやいややって作った成果にお金を出すのだろうか。
お金を出す基準がよく分からない。
物の価格は、需要と供給できまるんだろうが、、、
お金を出してくれないというは、お金を払ってまで手に入れる需要がないということだろうか。
それって、つまり、
多くの人がやりたいと思うことは、需要がまったくないゴミだということか?
なんで、需要がまったくないゴミを生産することを人々は心からやりたいと思うんだろう。
謎は深まるばかり。
もしかして、供給が多すぎるのかな。
だから、、値段が下がるとか、、、
それって、人々が心からやりたかったことって、だいたいみんな同じベクトルで、似たり寄ったりしていて。
そして、今は、どこにでもある普通の事柄だったということかな。
自分がやりたいと思っていることは、他人もやりたいと思っているということなのか。
うーん。
それって、ほんの少しだけ見方を変えると、自分が欲しがっているものは他人が欲しがっていて、
その過程でメンドイけど何とかしたいという不満を抱いていることはみんなが不満を抱いているような気がする。
だったら、その不満を解決するよーなことをプラスしてやれば、、
新しい需要を喚起して、お金が儲かり、暮らしていけるのではないか。
なぜやりたいことをやって暮らしていけないのか。
よく分からず、謎は深まるばかり。
ちなみに、お前は今何がやりたいのかと聞かれたら、BTSから派生したグループウェアとか、クロスブラウザ css3 ready な jQueryプラグインとか、paros や skipfish の改良とかかなぁ。他にもいろいろやりたいんだけど時間がないんだな、、、飽きっぽいからできるかどうか謎ですが。