右派と左派って、真女神転生で例えるなら、右派がロウで、左派がカオスだな。

右派と左派って、真女神転生で例えるなら、右派がロウで、左派がカオスだと思う。


右派->ロウ
左派->カオス


規律のためなら死んでもいいのと、自由のためなら死んでもいいの違い。
規律ある社会や国家のために死んでもいいのと、個人の自由のためなら死んでもいい。みたいな。
個人の自由より秩序を優先と、個人の自由を何より優先。みたいな。


例えば、家に否定的な左派がなぜ同性婚に賛同するかというと、
本人たちがそれを望んでいて、特にデメリットがないならまあいいんでねという、個人の自由を何より最優先するからだと思う。


なんで左派が家とかの古くあるコミニティに否定的かというと、
それを窮屈に感じる人がいてそこから逃れたい人がいるならば、その個人の逃れたいという自由を最優先したいからだと思う。


ちなみに、左派が表現の自由とかを最優先するかというと、
それは云わずもがな言いたいことを言う自由を優先したいからだ。ということは、逆に、右派が表現規制などを行い社会秩序を守りたいのもなんとなくわかるよね。


ようするに、左派は自由ありきなわけだ。だから、リベラル(自由主義者)なんだね。
言葉というのはよく出来ているものだ。




右派からすれば、左派は自分勝手な身勝手な奴らで、秩序を破壊する危険なやつらだし、
左派からすれば、右派は口うるさく自由を束縛する、人間の自由を奪う危険なやつらだ。
お互いが互いの価値観を理解し合うのは無理というものだろう。
お互いの価値観に違いがあるのを認めるぐらいしかないだろう。




どちらも、極限まで傾くと頭おかしい集団となる。
例えば、
右派だと、ナショナリズムとかで外国人とかを迫害し始めたり、検閲や全体主義を始めるだろうし、
左派だと、国家とか秩序をないがしろに始めるだろう。
これもまた、女神転生で、ロウを極めても頭おかしい集団になるし、カオスを極めても頭がおかしい集団になるのと一緒だ。



右派も左派もどちらも極めた社会はディストピアそのものだ。




だから、できるならばどちらにも傾かないニュートラルルートを歩んでいきたいものだ。
右派も左派も、あいつら何マジになっているんだと馬鹿にして指差して笑えるぐらいになりたい。
そして、右派からは左派だと言われ、左派からは右派だといわれる地点にいたいものだ。
その地点がどちらにも傾かないニュートラルルートだと僕は信じる。



右派を極めた頭おかしい奴ら、左派を極めた頭おかしい奴らをすべて笑って弾き返すニュートラルでいたいよね。