どんな人もしょせんはただのにんげん

任天堂の組長が亡くなった。ビジネス感覚と勝負運に長けた偉人だったと思う。
ただ、それでも死んでしまう。しょせんはただの人間なんだ。

アップル作ったスティーブ・ジョブスが死んだ時にも思った。
やはり、彼もただの人間だった。人間はいつか死ぬ。それは全てにおいて変わらない。

どんな凄い業績を上げたとしても、どんなに凄いカリスマをもっていたとしても、どんなにすごい資産を気づいたとしても、私達と同じ人間であることには変わらない。
人間だから寿命が尽きれば死ぬし、嬉しい事があったら笑うし、嫌われたりしたら落ち込むだろう。
嫌なことがあったら悲しむだろう。煽られたらムカつくだろうし、叩かれたら怒るだろう。

やはり、ただの人間だ。
仮に彼らが刺されたりしたら、当然赤い血を流しただろう。お前らの血は赤色だ。


彼らは、とても素晴らしい結果を残した。
でも、彼らもただの人間であるのならば、同じくただの人間である私達が、彼らを上回る結果が残せないはずがない。
もちろん、成し遂げられる可能性は低いかもしれないが、不可能ではないはずだ。

雲の上の存在なんてない。
だって、どんなに偉大な人でも人間なのだから。
TASさんみたいに時間制御チート使っているわけでもないし、空想上の人物でもない。魔法で物理法則をねじ曲げているわけでもない。
雲の上やカリスマ性の高い人物でも、しょせんは同じ世界に生きている(生きていた)人間にすぎない。
同じ世界で生きている人間であるというのは、私達と何も変わらない。

そして、死んでしまった人間に対して、生きている人間は、「生きている」という一点において最大のアドバンテージを持っている。
死んだ人は、これ以上業績を伸ばすことはできないけど、生きている私達ならまだ可能性がないわけじゃない。
しょせんはただの人間の作った記録なんだから、絶対に塗り替えることができるはずだ。

んなわけで、明日もがんばってみようと思ったのだだだ。


で、何でこの駄文を書いたか?
C++コンパイルが長すぎておわんないからだよ!!