技術革新によってなさ入れる食の自動化と自由

人間は、食いだめしたり、冬眠したり、光合成したりできないので、毎日食料を摂取しないと生きていけない。
そして、その食料は無限に空から降ってくるわけではない。
聖書に出てくるマナにように、願えば空から降ってきてくれれば話は別だが、現実に空から降ってくる雨水では生きてはいけない。
そのため、食べるために人は、働かないといけない。


人が働くと、そこに大きな矛盾が生まれる。
効率だったり、勤怠だったり、経済問題だったりだ。

人が働かないで、食料を調達する手段を見つけることが必要だ。


現在、植物の人工栽培や、人工肉、ソルトレイクのような万能食品などの開発が行われている。
もし、これらのアプローチが上手く行って、食料が完全に自動的に作り出せるようになったらどうなるだろう。
もちろん、機械を動かすエネルギー、機械の保守の問題はあるがとりあえずはおいておく。


食料が全自動で作り出せるわけだから、食べるために働く必要はとりあえず無くなるだろう。
そうなると、食べるためだけに仕方なく働いていた人たちは、それをしなくても良くなる。


装置の性能が上がって、エネルギー効率が改良され、自然エネルギーでも動いたり、
機械の内容が簡素化されて、壊れにくくなり、保守点検がとても楽になれば、保守の問題も改善される。


より安く、より効率的になるはずだ。
そして、無限の食料を手に入れることができる。


これって、ベーシックインカムや配給システムを技術の力だけで成し得たと言ってもいいと思う。
食べるために仕方なく働くという不自由から、私達を解き放ってくれるだろう。
私達にはめられた食べるために働くという鎖を断ち切って、さらに新しい自由を手に入れることができるだろう。


もちろん、装置がつくる食品よりもっとマシなものを食べたいとか、あるいは名誉を得たいということで働く人たちもいるだろう。
それはその人たちに任せておけばいい。
少なくとも、なにがあっても絶対に飢えないわけだから、もっと自由に人間らしい自由な暮らしができるだろう。


むかしむかし、人は水源を巡って殺し合いさえしていた。
だけど、今は、水なんて公園にいけば好きなだけタダで飲むことができる。
技術革新が、水の価値をほぼ0円まで下げることに成功したからだ。(具体的には、徴収コストより水の価値を下げることに成功した。)
川から水を汲み上げて、運んで配るというのを、水道システムが自動でやってくれる。
もし、食に関する自動化が進んで、食の価値が下ったらどうだろう?
水のように、タダで好きなだけ食べられるようになるかもしれない。
かつて殺し合いさえして争ったものがタダになったのだから、食に関してもそれがタダにならないとは言い切れないだろう。
そして、これを実現する方法は、食に対する技術革新、これが可能にしてくれるはずだ。


もちろん、これは私達が生きているうちには実現しないかもしれない。
ただ、食料の自動生産技術というのは、亜空間航行とか、超高速跳躍技術のような、SFの夢物語とも思えない。
現在の技術の延長で実現できそうだと思っている。


食に対するMaker的なアプローチはまだまだ一部のマニアしかやっていない分野だと思う。
だけど、それが発展して、全自動農場となり、純粋にエネルギーを職利用に変換する装置になり、飢えをなくして、ついには、食べるために仕方なくする労働から、人間を開放して、より一層の自由な世界を作れるものだと信じたい。